まずは結論から。学習塾のニューノーマルとは。

塾でも家でも変わらない学習体験の提供

学習塾のニューノーマルで最も意識すべきことは、それだけだと思います。
具体的には、

  • 子どもの負担を減らす
  • 学習リズムを崩させない

もうシンプルに、これに尽きます。
もちろんそのうえで、

  • 保護者の不安を減らす

もセットにしないといけません。

そのために、しみじゅくができること。

オンライン授業 しみじゅくVer.

緊急事態宣言の時期は、『実際に対面してサポートを受ける機会』が強制的に奪われました。
「その代わりに」オンラインで家庭と塾を接続したり、果ては映像授業の垂れ流しや、無責任な課題の乱発など……

しみじゅくでも、宣言の日からオンライン対応として、Goooleハングアウト(現Googleチャット)等を使った『学習機会の確保』に奔走しました。

そんなこんな、とにかく意識したこと。

自宅から接続した授業時間も、通塾時と同じことを、同じようにできるか

でした。今でも、それを最も強く感じています。

そしてそれが可能であるということを断言できる、しみじゅくです。

学習リズムの強制的な確保

『勉強なんて、嫌いで普通』と、大人のいまも本気の本音で思っている立場からして、

  • 学校がないから、勉強を始めない
  • 勉強を始めないから、課題が終わらない
  • 課題が進まないから、疑問すら湧かない

の、恐ろしすぎるホップ・ステップ・ノージャンプや、

  • 親は仕事で「バレないから」日中にこっそり遊びに行ってしまう

等々の弊害を防ぐことを考慮すべきであると、まず考えました。

そこで、平日は毎日、午後の早い時間から強制的にオンライン接続で“学習の拘束時間”を確保。
主に各自が学校から出された課題を黙々と進めるだけの、ある意味で濃い時間を積み重ねて、少なくとも学習リズムが途切れないようにしました。

論より証拠、顔色より紙面

急ぎ考えた特製のスマホスタンドを家庭に配布して、書画カメラとして使ってもらうことにしました。

見慣れたお互いの顔よりも、私の板書や生徒たちの紙面の情報でコミュニケーションを図ることのほうが、生徒の顔色をうかがいながらアタフタして講義をするよりも5万倍ほど大切だと思ったためです。「お互い、顔見てたってしょうがないよなっ!」

何より、これで私の目をすべての生徒の手元へと持っていくことができたわけで。

さてさてそういう空気感の中で、いつものことを、いつものとおり。
「あ、今回はそういう課題が出ているのね~。なら、ちょっと○年生は全員手を止めてよ。せっかくだからポイント押さえとこ」
などと、必要最小限の補足講義を挟む時間を、淡々と繰り返しました。

子どもの負担を減らす=いつも通り

そう淡々と。

結局、通塾していてもその流れで進めていますので、生徒にとっては自然な流れが自宅でも続いているだけです。
変化しかなかったあの時期、“いつもの”安心感を、少しでも残しておきたかったわけで。

それが、オンラインで“繋がる”ということだと思っています。回線を接続して情報だけをお届けするのでは、ヒトのコミュニケーションとして大切な何かが、抜け落ちているようで。

安心安全と一家団らん

さてさて、映像と音声でつなぐということは、きちんと自宅にいないと接続できないので自動的に安全と安心も確保でき、少なくともあからさまな弊害は生じにくくなります。

そして夜は、いっさいの授業を行いませんでした。「一家団らんが、この期間の塾からの宿題」としました。
単純に、ご家庭への過度な負担を減らすためです。プライバシーへのささやかな配慮でもあります。そして何より、有事では団らんこそが日々の癒やしとなるだろうと考えたためです。

個性だの尊重だのの前に、子どもは一定の保護をされるべき存在です。
『おとながやんわりと見張れる』ことは、学習塾だけでなく社会の機能として重要なことであると昭和の商店街で育った身としては痛切に感じます。

さあ、ニューノーマル

通塾の環境と家庭での環境は大きく違います。いいかえると、

塾での勉強と家での勉強は『質』が大きく異なりがち

ということでもあります。そして、自学能力の差が、家での学習効果に対してはさらに大きな影響を与えます。
結局はそこで、到底埋まらない決定的な差がつくということです。

そして、コロナ禍を経て、学びの枠組みが大幅に急激に変化しました。
それを補うかのように出てきた映像授業やAI診断など、ICTの活用が叫ばれてもいますが、これらには便利なようでたくさんのリスクが潜んでいます。

結局はそれらに頼り切ってしまっては、実は更に差がつきやすくなってしまう。

そういう懸念を、強く感じているところです。
しみじゅくは、そのギャップを積極的に埋めにかかります。ICTとヒトの力を上手に組み合わせて、

  • 大人の都合で子どもの成長リスクを増やさないような
  • 子どものICT活用能力を適切に高められるような

そういう学習スタイルを、これからも全力で提供します。

逆境をバネにするオブザイヤー

こんな時代だけど「きちんと、やれてる(気がする)」自分に、さらなる自信をつけて欲しい。
生徒たちには、この経験を通じて、これまで以上に自律の学びにつながってほしいと願います。

ところで、自律とは必ずしも自立(=自分でする)ではないと考えています。

  • 自律して自分でやる(考えずに丸投げをしない)
  • 自律して他人に頼る(聞けば良いことは聞けばいい)

の適切な使い分けのために、現状を認識して、問題点を整理しようとすることが、私の(しみじゅくの)考える自立です。なんでも自分ですることがためになるわけでは、ありませんよね(ときにそれは、お美しいですが)。